脳梗塞の再発防止に本人、家族が出来ること

血液さらり

脳梗塞体験談集

脳梗塞には勝てなかった叔母

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私の叔母が8年前に脳梗塞になった時の話です。叔母は周りの人にスーパーお仕事人間と言われるくらい仕事が命のような人でした。

高校を卒業してから30年間同じ会社の事務員として、そして秘書のような仕事もこなしていました。休んだのは娘を一人産んだ時、産前産後3ヶ月だけ!と良く話をしてくれました。訳あって離婚をし私の実家のすぐそばで暮らしており本当の家族のように暮らしていました。

いつもバリバリで働いていて、この人はいつ休んでいるのだろうと心配になることも多々ありました。良く食べ、良く話して、良く出かけ、フットワークも軽く、ストレスなんて言葉は似合わないような人でした。

それでも、人はスーパーマンにはなれない、病には勝てないという出来事が起こってしまったのです

その日、叔母は、普通に仕事場へ出かけて行っていつもと変わらない朝でした。昼の休憩時間が終わるくらいの時間に家の電話がなりました。叔母の会社からでした。「Mさんが事務所で動けなくなりまして、今救急車で運ばれました」と男の方の声でした。会社の社長さんだったそうです。

叔母は、昼食の後にトイレに行き、そこで具合が悪くなったと言います。手の痺れ、吐き気、呂律が回らない、明らかにおかしいと思い、接客用のソファに座り込んで動かなくなったそうです。様子を見ていた社長が声がけをし、救急要請したそうです。

その日は、事務処理の締め日でとても多忙だったそうです。叔母は薄れゆく意識の中、救急車で寝かせられたままもう一人の事務員に携帯で引き継ぎをしたそうです。その後、意識を失ってしまったようです。

後から聞くと、救急隊の方は「意識を失いかけながら仕事の引き継ぎをした方はあまりいません。むしろ、初めてかもしれません。お仕事、よっぽど好きなんですね。」と言っていたそうです。

現在叔母は、一命を取り留めますます元気に仕事をしています

もうすぐ定年ですが、命ある限り働きたいと言います。半身に少しの麻痺がありますがそれを物ともせず、毎日毎日、行ってきまーす!と我が子達よりも元気に出かけていきます。

叔母は若くして結婚と離婚をし、後悔している私の人生のせいで子供にはお父さんがいない寂しさや、金銭的な辛さは絶対にさせたくなかった。死ぬまで子の為に、全力で生きていくんだと決めているそうです。孫が生まれた今もその気持ちは変わらないそうです。脳梗塞で死にかけたけどね!と今では笑いながら話します。

今考えると脳梗塞の前兆はあったのかもしれませんが、いつも元気な人はそんな違いは気にせずに、疲れているだけと勘違いすることも多いと聞きました。元気だからこそ、いつもとの違いに気づくことが一番大切だと思います。

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