脳梗塞の再発防止に本人、家族が出来ること

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脳梗塞体験談集

脳梗塞で後遺症が軽く済んだが本人の認識が甘い

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脳梗塞になると大多数の人が後遺症と付き合っていくことになります。ところがその後遺症も様々で、要介護になってしまう人もいれば、介護認定すら受けることができない程度の人もいます。

もちろんどんな病気でも一緒です。後遺症が軽く済む人もいれば、とても重大な後遺症が残ってしまう人がいます。

ですが、本当に後遺症が軽いからと言って喜べる話なのでしょうか?これは私が実際に体験して、考えさせられたことです。

 

発病から症状

発病したのは66歳男性。42歳の時に離婚して、その後娘と二人暮らしをいていました。離婚後10年程して一人暮らしになり三食外食の生活になりました。

娘の結婚後サウナ通いを始めて毎日サウナに通っていました。コレステロールがもともと高かったが、重症といったわけでもなく、いつも経過観察になっていた。

飲酒は一滴もしないが、喫煙者で、炭酸飲料やコーヒーが大好きで、お茶などはあまり好まず、甘いものが大好きでした。入院前、我が家の前で追突事故を起こしてしまいます。その時はただの事故だと思いましたが、つい先日、左側をぶつけていたことを思い出し、少し心配になりましたが、ただの不注意だと考えていました。警察が来た時にそのことを話ししていると「前の話は家でしろ、今はこの事故の話だから娘は黙ってろ」などと言われてしまい、その場を離れました。

その数日後に外食先(行きつけのお店)にて「タバコが持てなくなった、病院に連れて行って欲しい」との連絡が来ました。食事が終わって一服しようと左手にタバコをもったのですが、口に入れられなくなり、その様子を見ていたオーナー婦人がおかしいから娘を呼びなさいと言ってくれたそうです。父を迎えに行き病院へ向かいました。

 

発症後

土曜日の夜だったので、救急外来受け入れをしている病院まで車で向かいました。父の母(私から見たら祖母)も脳梗塞をやっていたので脳梗塞だろうななどと考えていました。病院へ向かう道中、「きっともうタバコは吸えなくなると思うから、最後の一本すったら?」などと話しをして病院に向かいました。そもそも健康そのもので、66歳なのに何も薬を飲んでいないという素晴らしく健康な人でした。いろいろな検査をした結果を見た病院の先生からも「たま~~~にこういう人いるんですよ!」などとお話しをしていただくほどの健康そのものでした。

ただ、脳の画像を見せられた時に、血管が映っていなかったり、その血管の映っていない側の脳は白く靄がかかったような状態になっていました。よくテレビで見る、アルツハイマーの人の脳のような状態になっていました。症状について聞かれると数週間前から手がピリピリすることがあって、少し待つと収まっていたということを話し始めました。お医者さんからは「その段階で病院に来たほうがよかったね~」などと話しをされました。その場で入院が決まり、最初はICUへの入院となりました。外食先に車を置きっぱなしだったので、主人と取りに伺うと私に隠していただけで、2か月程の間に4回ほど車をぶつけていたことが発覚しました。さらに自動車保険の手続きをしようとすると未加入だったことがわかりました。

 

入院中

最初診察をしていただいたのが神経内科でした。特に手術をするわけでもないと話をされ、投薬治療を開始しました。幸い後遺症が軽く、半側空間無視という後遺症だけでした。左目の下側の視界に難がある程度の後遺症です。目が見えていない(視界が狭まっている)のか、見えているけれど認識していないのかは不明でした。左下にあるものが認識できませんので、病院の廊下にある椅子などにもよくぶつかって歩いていました。

左手が若干不自由になったくらいで知らない人が見たら何も後遺症がないかのようでした。看病する側からするとこれがとても厄介でした。同じ病気になった人が車いす生活になっていたり、失語症などになっていたりしているのに、歩けるし、話も出来て、さらに糖尿などの病気も持っていないので、食事制限などもなく、病院でも本当に自由な状態でした。そのせいもあり、病床でも本人の認識が甘く、「先生からいいって言われたらタバコを吸いに行きたいからタバコを置いて行ってくれ」などと言ったりさらに、病院のリクライニング機能のついたベットで、足も頭も上げて座っている状態でした。看護師さんから「何かあっても責任が取れないからベットをフラットにしてください」と話しをされても「あの看護師うるさいんだ」などと言って言うことを聞かないなどの状態でした。お見舞いに行くたびに話をする、説得をするような状態でした。

 

退院

入院生活もちょうど2週間になるあたりで先生から呼び出され、これ以上は良くならないので今後は通院でというお話をいただきました。そもそもが一人暮らしな事もあり、退院後の生活にもとても不安がありましたので、しばらく私の自宅に同居という形をとりました。

 

退院後に見えてきた後遺症との付き合い方

食事をする際、向かい側に座っている私が味噌汁を飲んでいる姿を見つめていたので「何?」と聞くと自分も味噌汁が飲みたいとの話でした。でも左手のすぐ横に味噌汁が置いてありました。テーブルの上の狭い場所でも見つけられないといったことが起こりました。また、とんかつなどの食事の際、右側にばかりソースなどをかけてしまい、左側には何もかかっていない状態になっていることもありました。

本人の希望はまた車に乗ることだったので、なるべく意識して見るという癖をつけるようにと話しをしてもなかなか実行できずにいるといった具合でした。また、言葉にも体にもほとんど後遺症が残っていなかったのですが、そのおかげで相手に脳梗塞だったということが気が付いてもらえることはほとんどなく、何もないと思い込んでガンガン進んでしまうので、人がいる場面では相手をよけさせてしまう事もしばしばありました。

 

認識の甘さからくる家族のイライラ

脳梗塞というだけで充分大きな病気であることにかわりないのに、大きな後遺症が残らなかったことは本人にとっていい事だったのでしょうか?

実際、うちの父の場合、言葉にも運動神経にもほとんど後遺症がでませんでした。よく周りの人からは「軽く済んで良かったね」などと励ましの言葉をいただくこともしばしばでした。でもその軽く済んだ脳梗塞は本人の認識の甘さを生んでしまうことになります。

うちの場合はタバコがやめられませんでした。隠れて吸っていて吸っていないと嘘をつくなどといったことが度々あり、私が怒鳴りつけてしまうことは日常茶飯事で、取っ組み合いになることもありました。左手が少しだけ動かしにくいということがありましたが、おかげで茶碗や皿を持たずに首を動かして食べるといった姿が目立ちました。まるで動物を飼っているかの様な感覚になりました。

うち父の場合、「自分はまだ大丈夫」と思っていたが為に起こった事故と言っても過言ではありません。後遺症が軽い事で介護認定も受ける事が出来ません。また、軽く済む程度の病気と認識しているのではないかと感じてしまう話も多々されていました。

「自分は大丈夫」といった過信は保険にも入らない車に乗り、病院に緊急で入院をしているのに看護師さんの話も聞くことができない人間にしました。周りでいくら声掛けをしてもテーブルの上のおかずすら見つける事が出来ないといった状況でした。

長々とお話させていただきましたが、結局は本人の意思がしっかりしないと禁煙も病気の予防もとても難しいことになります。本人自身も病気を受け入れられていないことが受け入れられていないのも事実です。

病気になる人自身の性格も十分に影響しますが発病した人の年齢などもこれから先、元気に生きていたいのか、それとも何か違う選択肢があるのかという事の話合いになることもしばしばです。私からすれば、兄弟もいないので、少しでも元気に生活していて欲しいと感じますが、本人の甘えは生活を変える事が出来ません。もちろん自分の人生であることに変わりはありませんが、家族がいる場合、残される家族の事を考える必要があります。

面倒を見てもらっている、心配をかけていると考えて相手の事を思うことが出来れば甘えた考えも捨てて、きちんと元気に過ごすという目標を見つける事ができますが、みんながみんなそうではないのです。患者側も面倒を見る側もお互いがお互いに配慮する気持ちがなければうまく病気を付き合いながら生活することは困難になります。

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