脳梗塞の再発防止に本人、家族が出来ること

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脳梗塞体験談集

祖母が脳梗塞に!病院に行くのが遅れ要介護に

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私が高校2年の時に71歳の祖母が脳梗塞で倒れました。2月の寒い時期でした。

自宅から祖母の家は自転車で15分程だったので、学校帰りによく遊びに行っては祖母とたわいない話をしていました。

祖父は私の小さな頃に亡くなっているので1人で暮らしている祖母が心配でもあり、時間ができれば大好きな祖母の元に行っていました。

私が変化を感じたのは祖母が倒れる1ヶ月ほど前のお正月です

年が明けて3日の日に親族揃って食事に出かけるのですが、祖母が時間になかなか来ません。

普段からきっちりした性格で遅刻などは全く考えられません。電話にも出ないので家まで行くと、ぼーっとこたつに入って映っていないテレビ画面を見ながら座っていました。あの光景は今でも忘れることが出来ません。母が祖母に話しかけると、うつろな表情で「忘れていた」と言いました。でも、その他は特に変わった事もなくしっかりと会話もできるしそのまま恒例の食事に行きました。

食事の際、ちょっといつもより元気がなくゆっくりな動作が気になりましたが、まさか脳梗塞とは思いもしなかったので歳だし疲れてるのかなといった感じでそれぞれの家に帰りました。

その2週間後、冬休みが終わり学校帰りに祖母の家に行くと祖母が肩が凝るから背中を叩いて欲しいと言いました。

祖母はなんでも自分でやろうとする人で頑張り過ぎるところがあります。でも、今までに1度も肩を叩いて欲しいと言われたことなんてなかったので、よほど辛かったのだろうと思います。

右側の肩が重く頭痛もするらしく、肩には湿布を貼っていました。それと同時に、少し右手が痺れると話していたので心配して病院に行くことをすすめましたが、大したことないの一点張りで病院嫌いな祖母は肩を叩いてくれたお陰で治ったと私に言いました。

その夜でした。23時頃電話が鳴って母が急いで祖母の家に向かいました

酷い吐き気とめまいだったらしく、母と会話しているうちに意識がもうろうとなり救急車がくる前には自分の名前も言えない状態となったそうです。

その後、祖母は右半身に麻痺と言語障害が出てしまいました。予兆は沢山あったのに大丈夫だろうと見逃してしまった事に後悔してもしきれません。

要介護となった祖母

祖母は医療センターの近くに住む叔母の元で暮らし始めました。大好きだった祖母は、私の事を忘れてしまいました。性格も全く以前の祖母とは違い、甘えん坊の可愛い小さな子供のようになりました。

脳梗塞を発症して8年、祖母は天国へ旅立ちました。

後悔は尽きませんが、私はどんな祖母でも大好きでした。

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