丁度、私が結婚後家を出た頃でしょうか。夜電話が鳴りました。
相手は母親で、滅多なことでは動揺しない性格にも関わらず少し慌てており、父親が倒れたと聞かされました。
朝はいつも通り普通に仕事に向かい、会社から帰る時間帯でした。いつものように駅のホームに立って居ると、突然めまいのような症状に襲われたそうです。その後意識が曖昧になったと後から聞きました。
倒れた場所が駅で、線路に転げ落ちなかったのが不幸中の幸いで、大きな駅だったので周りの人がすぐ駆け寄ってくれ、駅員さんを呼んでくれたそうです。
今まで全く病気という病気もせず、倒れた事も救急車を呼ぶような事もなかったので大変驚き、また心配しました。
救急車を呼べばすぐ近くの病院に運んでくれるものとばかり思っていましたが、受け入れてくれる病院を探すのにかなり時間がかかり、とても心配になったのを覚えています。自宅から少し離れた病院ではありましたが、その後受け入れて頂ける事になり一安心でした。
病院で検査を受け、脳梗塞らしいので、脳専門の病院へ移ることに。
その脳専門の病院へも救急車で向かい、そこでようやく小脳梗塞である事が判明し、有難いことに命に別状はありませんでした。ただそこからが予想以上に大変だったのです。
暫くは集中治療室のようなところへ入っており、顔を見に行く事ができませんでした。
ようやく普通の病室へ移動した頃に様子を見に行きましたが、病のもとが脳という事で手術は不可能。毎日点滴を打ち腕は点滴の痕だらけ、ひどいめまいと嘔吐の日々に、一切弱音を吐いたことのない父親ですら、かなり辛そうでした。
母は母で泊まり込みが続き疲労困憊しており、わたしも仕事のない日はいつも病院へ向かいました。その度に、父親はどんどんやつれ、やせ細って行きました。
体調も多少回復の兆しが見えてきました
四ヶ月ほど経った頃だったでしょうか。ようやくぽつりぽつり話す事が出来る程度にまでになりました。
その少し後には、わたしが病院へ行けば車椅子で何とか談話室のようなところまで来られるようになりました。
ただ、身体中の筋肉と言うものは動かさないとあっと言う間に落ちてしまうようで、その頃には父親の足の方が私よりも細くなってしまっていました。
その後体調を見ながらリハビリが始まりました
落ちてしまった筋肉を戻すために、また、今後も付き合って行かなければならないめまいに慣れるためにリハビリをしなければいけません。
リハビリの部屋には入れず詳しい様子は分かりませんが、最初は立つのもやっとだったようです。
父親の症状は言わばましな方で、それでも平衡感覚が失われるようで、立つ事が出来るようになってからも、真っ直ぐに歩けませんでした。そのままリハビリを続け半年経った頃にようやく退院。
帰宅してからもまだまっすぐ歩けず
筋肉が落ちないようにと散歩に出るものの、誰かがついていないと無意識で車の方に向かって行く事もありました。自分でまっすぐ歩きたくても無理だったそうです。
そこからも通院を続け、一年経った頃に普通の暮らしに近い状態にようやく戻りました。あれから15年程経ちますが、今でも血管が詰まらないよう薬を飲んでいます。
男性の場合は半身不随になる事も多いと聞きます。不幸中の幸いでした。
長年に渡りヘビースモーカーだった父も、今はタバコをやめ、かけ過ぎだった醤油も控えるようになりました。健康な時には何も気づかないのが人間だと、身内が倒れて初めてこの歳で感じさせられた事件でした。