脳梗塞の再発防止に本人、家族が出来ること

血液さらり

脳梗塞体験談集

風邪だと思っていたはずが一転して脳梗塞

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体験としまして、父が脳梗塞にあった時のことを記載していきたいと思います。

父の話の前に、まずは父方の祖母のお話をします

彼女は30年前、私が生まれて一歳の誕生日をもう時期に迎える頃の出来事でした。
ある日、お風呂場で倒れて救急車で運ばれて、緊急入院をしたそうです。それまで元気でいつも笑っていた祖母でしたが、倒れた原因が脳梗塞でした。

幸い命は取り留め、療養が終わったら退院しても大丈夫と言われていたそうです。
当時祖母は62歳。年の割に背筋も曲がらず、元気に出歩いていたと聞いています。

しかし、退院を間近に控えたある日、病院内の階段から転落し、そのまま帰らぬ人となりました。また別の脳の血管が破裂してしまい、手遅れだったそうです。

それから10数年の間は、祖父も老衰でなくなりましたが、父の兄弟で脳梗塞や重い病に倒れた人は特に出てこず、遺伝の心配についてはつゆほども考えていなかった状況での父の出来事でした。

話を戻しますと、そもそも父は自営業で内装工事を生業とし、毎朝6時30分には自家用車で現場に出向き、夜20時ごろに帰宅するといった具合でした

土日も作業に充てなければいけない日もありましたので、普通のサラリーマンよりも休暇日は少ない状況でした。

当時の家族の状況というと、私はフリーター人生から抜け出そうと転職を考えている時期、7つ下の弟は高校入学を控えている時期でした。
母は体がうまく動かない事もあり、専業主婦として家を守っていましたが、副業で集金業務などの簡単はお仕事しながら家計を支えていました。

ある日、平日朝の10時ぐらいに父親が突然帰宅します

現場のスケジュールが変わったのかと思うと様子がおかしく、風邪っぽいから帰ってきたとの事。同時に視野の半分から下がぼやけて見えていたらしく、熱のせいだろうと判断して車を運転して戻ってきました。

翌日、なかなか体調が戻らず、内科を受診しますが一般的な風邪であろうと診断され、熱が引くまで解熱剤と整腸剤を処方され1週間ほど様子を見ることにしました。

しかし一向に体調は良くならず、熱も引かないと訴える父親をみて、兄弟と母とは「もしかしてボケが始まってしまったのか」と疑いもしました。
と、いうのも後で知った話ですが父親は重度のADHD(アスペルガー)であり、うまく言葉を伝える事も出来ず、判断力も低下、頑固な所が大きく裏目にでている性格です。

しかし高校入学の支度金調達もあったので、家族としては一刻も早く元気になってどうにかしてもらわないと回らないという心配も大きくあったのです。

体調は一向に良くならず、紹介状を書いてもらいMRIで詳しく診てもらうことにした

風邪薬を処方されて1週間、一度受診した内科の先生に相談するほかありません。しかし先生は症状から見て、手の打ちようが他にないとおっしゃいまして、更に1週間、新しい種類の薬を処方してくださいました。

その頃から、父親が「目がかすむ」とか、食欲の低下、そしてトイレの頻度が異常なほど多くなっている事に家族は気づき初めまして、母親も元看護婦だったこともあり、薬が飲み終わらない間に、内科の先生へMRIを取って確認してみたいと訴え、紹介状を書いていただきました。

その日は私は転職する決意を元に、当時勤めていた派遣会社へ退職届を出しに出かけていました。

帰宅した私を迎えたのは顔面蒼白で座り込む母の姿でした

父親の脳の左側が既に血管が詰まって白く映し出されていた為、そのまま緊急入院となったのです。

幸いなことに、感覚器官はやられていなかった為衣服の脱ぎ着は大丈夫でしたが、日に日に筆が取れなくなりはじめ、ついには自分の名前すらも書けなくなる状態になっていたのでした。

父親の血管は、とても細く、繊細に分かれていた構造で、医師からは「モヤモヤ病の一種である」と告げられました。

皮肉にも、当時父親は62歳。祖母が発症した歳とまったく同じでした。

父親からしてみると、当時のトラウマもあったのか一気に意気消沈してしまい、消極的な事ばかり口にするようになりました。また、病院の劣悪な対応が追い打ちをかけていきます。

家族はというと、急いで生活保護の申請をし、弟の高校入学手続きを補助金申請したり、私は一刻も早く次の職に就く事を目指して、母と交代での父親の看病と就活(面接)、片手間のアルバイトに明け暮れた日々でした。

幸い、父親の手術費は免除され、検査に時間がかかりましたが、入院してから5日後にバイパス手術が実行されました

約6時間にわたる手術は無事に成功し、あとは回復を待つだけでした。
しかし、視野に関しては、回復が見込めない状況となり、文字を書く事も今でもできておりません。

そして運の悪いことに、主治医の興味本位で出した術後の薬が皮膚を激しく刺激し、父の背中が真っ赤にじんましんだらけの薬疹が出てしまいました。
退院したにも関わらず、すぐに皮膚科で再入院となり、父親は生きていく自信を完全になくします。

それから今、父は家からほとんど出ず、また血管が破れたり詰まるからという事を理由に一切動く事がなくなりました。
本来であれば、「リハビリをして元気になりました!!」とか「職務復帰が出来るようになりました!奇跡!」などと取りざたされるのでしょうが、そんなのほんのごく一部です。

兄弟は生活保護課の両親の為、長く居座っていた実家を出て、定期的に母と連絡を取るようにしています。

帰っても、母からこぼれるのは父親の愚痴ばかり。
正直、このまま父親が死んでしまったとしても、母としてはある意味解放されるのかなぁと悲しみのかけらもないことを考えてしまうことが多いです。

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