隣県に嫁いでしまいなかなか会う機会も減ってきた頃、祖父が入院しました。
最初は肺炎の合併症で肺に水が溜まっていたことが原因だったと思います。
苦しそうだった祖父もなんとか回復してリハビリを始められるまでになりました。
「退院できる日も近いね」なんて話をしていたその矢先。
あの日がやってきました。
その日は仕事が早く終わり、娘の迎も余裕をもっていけるなと思い買い物でもして帰ろうと車を走らせていました。そんな中、携帯が鳴りました。
路肩に車を寄せ、恐る恐る電話に出ると憔悴しきった母の声がしました。
「ねえ、もうじいちゃんだめかもしれない。」
私は状況が読めませんでした。
「いきなり何を言っているの?何があったの」と聞くと
「じいちゃん脳梗塞になっちゃったって肺も脳もやられてもうあとどの位持つかわからないって」
初めて聞く母の弱弱しい声に私は気が動転してその場で泣き崩れてしまいました。
小さい頃はずっと祖父と一緒にいた私
おじいちゃんっこと周りから言われるほど祖父に懐いていました。
祖父の作るコロッケ、祖父の作るチキンライス
あの大きな手で作ってくれる料理が何より好きで帰る度にお腹すいたと言っては祖父の手料理を食べていました。
そんな幼いころの思い出が一気に込み上げてきて居てもたってもいられず、気づいたら娘を迎えに行き車を実家に向けて走らせていました。
その日は祖父の顔を少し見ただけで帰りました。
それから数日、祖父が山を越えたという知らせが入りました。心配で仕事も手につかなかった私にとっては少し気が楽になる報告でした。
幸いにも入院中の発症だったため早期発見で、血栓を溶かす薬での治療が出来たことが生死を分けた重要な点だったとお医者様は言いました。
その後、祖父の所に行くと、そこには弱っていて麻痺が残ってしまったために喋れなくてただぼーっと一点を見つめる祖父が居ました。
そのとき私の口から出たのは「おじいちゃんごめんね」この一言でした。
私と祖父は仲が良かった半面、しょっちゅう喧嘩をしていました。時には朝まで帰らず心配をかけたこともありました。そんな時でも私のために毎日ご飯を作ってくれていた祖父に私はなんてことを言ってきたんだろう。そう考えたら涙が止まらなくなりました。
麻痺でろれつが回らない祖父は動かせる方の手を差し出し私の手を握り、おうおうと何かを伝えようとしてくれました。
そんな祖父も今ではリハビリができるまでに回復をしました。
お医者様や看護師さん方が素早く異変を察知して治療してくれたからここまで回復できたのだと思います。
脳梗塞だけに限らず、どのような病気でも早期発見早期治療が次の命や次の生活に繋がる大切な要因なのだなと感じました。