祖父は、もう既に亡くなっていますが、改めて思うと、脳梗塞が、原因だったのだ、と。
私の祖父は、私が、物心ついた頃は、足が、動きませんでした。いつも、居間で、テレビを観たりして過ごしていました。私は、祖父が、歩いた所を見たことがありません。
そういえば、なかなか話さないし、話す言葉も、よく聞きとれなかったです。でも、それが、私には普通でした。だから、何も、変に思ったこともなければ、昔は、それほど、脳梗塞だとか、そんな言葉が、使われてなかったように思います。だから、祖父が、脳梗塞という病気で、そんな風になったと、わかったのは、大人になってからです。
歩けない、何言ってるか、わからない、怖いのが祖父で私たちにとってはそれが普通でした
私が、まだ、1歳位の時は、私を、ベビーカーに乗せて、散歩に行っていたという話を聞いた事があります。
倒れてから、歩けなくなったと聞いたので、残念な気がします。祖父が、立っている写真は、戦争の時の写真だけです。後は、全部あぐらをかいて座っている写真なので、一度歩いている姿をみてみたかったと思います。
祖父は、あまり長い文だと何を言っているか聞きとれなかったですが、単語なら、わかりました。それで、会話していた気がします。コレも、脳梗塞の影響なんでしょう。
でも、祖父は、それほど気にしていないというか、仕方ないと思っていたのか、それが、普通なんだ!という感じで、過ごしていたと思います。
私達兄弟が、散らかしたりしてたら、動けない分、ハエたたきが、祖父のそばに置いてあり、それで、バシッと叩かれたりしていました。とても、怖かったイメージがあります。
いとこは、未だに、祖父ちゃん、怖かったよねーと、話します。脳梗塞が、なんだ!それでも、生きて行かなきゃいけないんだ!という覚悟が、祖父の心の中にはあったかもしれません。だから、私達には、歩けない、何言ってるか、わからない、怖いのが祖父!それが、普通でした。
今考えると祖父は日常的にリハビリをしていた
部屋から、部屋へ移動するときも、自分で、両手を使い座ったまま動いたり、四つん這いになって、赤ちゃんのハイハイみたいに動いたり、今となれば、それが、祖父のリハビリと、言えるかもしれません。
リハビリと感じさせない祖父は、凄いです。極力、一人でしていました。どうしても出来ない時は、手伝うのは、当たり前にしていた気がします。
皆が、祖父を目の片隅には、入れていて、自然に体が、動いてるのですから。祖父は、足が、動かなくなってからの方が、長かった気がします。
いつ自分達も脳梗塞になるか分からない
怖いですね。いつ自分も、そうなるかわからないのですから。祖父は、血圧が高い方でした。父も、そんな感じです。気をつけないといけません。
健康は、大事です。それを、身を持って教えてくれていたのが、祖父だったと思います。