脳梗塞の再発防止に本人、家族が出来ること

血液さらり

脳梗塞体験談集

私の祖父はもともと糖尿病も患っており、脳梗塞にもなりました

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事がおこったのは北海道の冬で雪が沢山降っていた夜の事です約20年前くらいでしょうか。

別々に暮らしていた祖父が倒れていたと叔父から連絡があり、母と夜中に駆けつけた事を今でも覚えています。

駆けつけるとリビングで横たわってる祖父の姿があり、それを見て幼かった私は死んでしまったかと思いました。

病院では今夜が山と言われたそうです

私は幼いながらに死への恐怖を身にヒシヒシと感じました。神様におじいちゃんをどうか助けてくださいと純粋な子供の願いが届いたのか、なんとか一命を取り留めました!

ですが、右半身全ての麻痺と多少の言語障害で前の祖父とは全然違い自信を喪失した抜け殻のようになってしまったのです。

古風な頑固な祖父なので、人には迷惑をかけないとしばらくは一人で暮していて、交代で叔父や母が様子を見に行ったり、夕食を作りに行ったり(糖尿病なので味付けが大変だと言っていたのを覚えています)みんなで協力していて祖父の面倒を見ていました。

私が高校を卒業する頃にはもう言葉もゆっくりですが喋れるようになっていて、母に一緒に住んで面倒を見てほしいと頼んだそうです

私と母は祖父との共同生活を快く受け、一緒に暮らすことになりました。頑固な祖父との生活はとても大変でした。

反抗期真っ只中の私はろくに動けず、テレビばっかり見て母に命令する祖父に腹を立てていました。その頃の私は祖父が自由に動けない事への苛立ちや人には迷惑をかけてしまっている罪悪感など、知りもしませんでした。なので、色んな暴言をはいて、祖父を傷つけていたに違いありません。その頃から祖父を避けるように生活していたせいで祖父との溝が深まっていきました。

溝が深いまま自分の夢を追う為に東京へ上京した私は母の介護生活の気もしれずに自己中に暮らしていました。帰省した時にやっと祖父の気持ちや母のしんどさを理解できて、過去の自分はなんと馬鹿な事をしたのだろうと反省しました。

病気を持つと一人ではやはり生きていけない

どこか自身がなくなるのか毎年の正月の祖父の挨拶には今年はじいちゃんが死ぬかもしれないというワードが必ず出てくるようになりました。

家族みんなでそれを励まし、生きてる事は命があるという事は本当に素晴らしい事なんだと祖父に言い聞かせながら年を越すというのが、この何年かの恒例行事です。

今、祖父は80歳になり不自由な身体と弱り行く心身を必死に動かして生きています。力がなくなり、家の中でさえ転ぶようになってしまいましたがそれでも頑固でわがままな祖父を今ではちゃんと向き合って支えたいと思えるようになりました。

これからも恒例行事のお正月を祖父と越せるよう願います。

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