脳梗塞の再発防止に本人、家族が出来ること

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脳梗塞体験談集

祖父が脳梗塞になり左半身の麻痺と、重度の言語障害の後遺症で介護が必要に

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祖父が脳梗塞を患いました。

それまでは「75歳を越えて、元気にしているなぁ」と感じていました。職人である祖父は、毎日笑顔をお客様に向け、こまやかな作業をしていました。穏やかで、私の中には叱られた記憶もないような祖父でした。

それが、ある朝、突然変化が起こりました

いつも起きてくる時間に、食卓に出てこない祖父を、母が呼びに行きました。ですが、なかなか二人とも食卓に戻らず…。

しばらくして聞こえてきたのは、母の大きな声と、ドンという大きな音でした。

「お父さん!来て!」と。

父のあとに続いて私も祖父の部屋へ向かいました。

すると、母に腕を掴まれてはいるものの、左膝から座り込むようにうなだれている祖父がいました。ひとまず父が祖父を支えてベッドに戻しました。

言葉に詰まりさえした私が、祖父にどうしたのかと訊ねてみても、祖父の言葉は聞き取れませんでした。さらに聞き返すと、突然怒鳴られました。

両親はすぐに救急車を呼びました。救急車が到着するまでの記憶は、はっきりしません。
突然動けなくなった姿と、今まで経験したことがなかった「祖父に叱られた」という出来事で頭がいっぱいでした。

さいわい、すぐに病院に搬送され、治療が始められました

しかし治療がすすんでも、聞き取れない言葉は、変化がありませんでした。 私から祖父に話をしようと声をかけても、声を荒げられるばかりでした。父は、そんな祖父の姿が受け入れられなかったようで、次第に同じように声を荒げるようになりました。

当時は、あんなに笑顔で過ごしていた人が、こんなにも変わるのかと、不思議で仕方ありませんでした。怖いとさえ思いました。

父は、看護師から「治療に拒否的な態度をとられることがあり、安全が確保できない」という理由で身体拘束(ベルトで手足を動かないように固定したり、医療用のミトンをはめる)をさせてほしいと説明されたそうです。

それからは、お見舞に行くと、点滴をしている側の手を、拘束されていることが日常となりました。

お見舞と言っても、話せない、すぐ怒る、動けない、という状況だったので、少し声をかけて、そそくさと帰っていました。

入院中は、リハビリもたくさんしてもらいました

リハビリの先生は祖父の言葉が少しわかるのか、「早くおうちに帰りたい、って毎回言われるんですよ」と言われました。

それまで、家族に対して怒ってばかりの祖父を見ていましたから、にわかには信じられない言葉でした。そう言われて見た、私が帰る間際の祖父の表情は悔しげな、悲しげな、怒っているようなものでした。思い通りにいかないことへの、怒りのようでした。

そんな祖父は結局、家に帰ることなく、施設へ入所しました

左半身の麻痺と、重度の言語障害を抱えた祖父を、自宅で介護するのは、家族の状況から、無理でした。

でも、祖父のあの表情が忘れられず、私が今年勉強して介護の資格をとったら、わずかな期間でも在宅介護をしてみようと思っています。

勉強してみると、あの当時の祖父の行動や気持ちが少し理解できて、やはり知識は大切だと痛感しています。

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