脳梗塞発症後、目の見えなくなった祖父は、不自由を感じながらも在宅での生活が続いていました。
しかし、1年半がたった頃から認知症の症状が出始めるのでした。物取りの妄想から、幻視、幻覚、日中の時間帯ですが、徘徊などもありました。外出が苦手な祖父のはずなのに、突然、「外に行かないといけない」といい、靴を履き始めたこともありました。
当然、靴はうまく履くことができず、靴下のまま外に飛び出すことになるのでした。
家族の制止も聞かないまま、外を歩き続けることもありました。
脳梗塞を発症すると認知症になることもあるらしく、脳の様々な機能が低下するのだと医師から聞きました。
その後、認知症がますますひどくなり、在宅での生活が困難になってきたことから生活の場を施設又は病院に移すことを決断しました
この頃には、祖父の介護の担っていた祖母も介護疲れで体に不調が出ていました。祖母はもともと心臓が悪く、入退院を繰り返すようになっていました。
家族はみんな仕事や学業に追われる中で、在宅にヘルパーを導入して祖父の日常生活を支えてもらうことも考えましたが、目が見えなくなった祖父が他人との接触を極端に拒む中でなかなかヘルパーの導入は踏み切れないものがありました。
祖父も在宅での生活を継続することは望んでいるというものの、自分でも限界も感じてきているようでした。
たまたま、空きの病院への入院を提案したところ、本人も了承したため、病院での生活がスタートしました。
病院では、日常生活を医師や看護師、ヘルパーさんのお世話になりながら過ごしていきますが、だいたい同じ方に入浴や食事の世話をしてもらっているようで祖父は祖父なりに病院生活になじんでいきました。
しかし、認知症の症状は改善されることはなく、むしろ進行しており、夜中に大声を出したりすることもあったようです。目が見えないので、自分がどこにいるのか、何のためにここにいるのかわからないといった思いもきっと、祖父の中ではあったと思います。
脳梗塞発症後、3年の月日が流れたのち、祖父は病院で息を引き取りました
脳梗塞による合併症だと記憶していますが、肺炎も併発していたと思います。
祖父が亡くなり、今思うことは、脳梗塞発症以来、祖父は祖父なりに努力の日々だったと思います。
脳梗塞が原因とはいえ目が見えなくなることはかなりの不安との闘いだったように思います。しかし、祖父は泣き言など言わず、自分の置かれている状況と真正面から向き合っていたと思います。
最後は認知症も発症し、なかなか壮絶な晩年になったと思いますが、祖父の生き方は私に学ぶべきものを多く残してくれました。
「自分の置かれた状況下で精一杯努力するということに年齢は関係ない」ということです。
今でも祖父を思い出すとき、祖父の脳梗塞という病気を通じて、家族に教えてくれたことは多いと感じています。享年83歳の立派な生涯の幕引きでした。