ある日の深夜、母親の元に叔父さんの働く会社から電話が鳴りました。
仕事中に、突然手足が痺れて動けなくなり救急車で病院に運ばれたと。
叔父さんは当時50代後半、夜勤の食品加工工場で働いていました。
独身だったので、緊急先の母親の元に連絡が来たのですが、慌てて母親と2人で救急病院に向かった事を思い出します。
脳梗塞の手術
病院に着くとベットで横たわる叔父さんが居て、別室でレントゲンを見せられ説明を聞き、いわゆる脳梗塞で、今すぐ手術をしないといけないのでサインが必要だと、母親はサインをして、手術が終わるのを2人で待ちました。
頭にホッチキスだらけで痛々しく、麻酔で眠ってる叔父さんを見て可哀想で涙が出ました。
目を覚ました時の叔父さんは、チグハグな、ありえない夢のような話を急にし出して、あの時はホントに焦りました。脳がおかしな事になったんじゃないか!って
脳の手術の直後はそんな事があるらしいと言う話を聞いたのですが。
本当に叔父さんが目覚めて、元に戻るまでずっと不安でした。でも、後にいつもの叔父さんに戻っていたのですごく安心しました。
手術は無事成功しましたが、幸か不幸か、結果は左半身不随になってしまったのです
幸い、真夜中と言えども、倒れた時が職場で周りに人が居た為、最悪の事態は免れたと。ホントに叔父さんはこの世に生かされてるんだなと思いました。一緒に強く生きないとと。
目を覚ました時の左半身不随になった叔父さんの気持ちは、私たちの
想像をはるかに超えてるのだろうと思うと胸がホントに痛かったです。
今まで出来てた事が出来ないのですから想像しただけでも、悔しくて辛いと思います。。。
しかし、そうは言ってもなってしまった事はもぅどうする事も出来ないし、前をむいて出来る事をする。そんな気持ちだったと思います。
そこからは、毎日リハビリの日々でした
その頃ワタシは無職で、母親は毎日朝から晩まで仕事だったので、私が片道30分の病院まで毎日通っては、車椅子を押し外の空気を吸って気分を少しでも変えようと話し相手をしに行きました。どれぐらい入院してたかな…季節が変わってったのも覚えてるから結構長かったのかな。
叔父さんは、ヘビースモーカーの大酒飲みでした
それらが関係したのかどうかは解りませんが、叔父さんは今でも煙草は止められずにいるものの、お酒は最初のうちは少し我慢出来ずに飲んでたのですが
身体がスムーズに動かない為にお酒を呑むと尿意をもよおす回数も増えるし、おトイレに間に合わず数回漏らしてしまったみたいなんですね。
50代って、まだまだ脳梗塞するには若いです、漏らして、その処理すら自分で出来なくて人に処理してもらう。そう言うのが嫌だったんでしょう。
そこからは、一滴も呑まずです。
退院してからも、未だに外には出ず引きこもりがちで、近所の人にそうなった自分を見られるのが嫌で(私たちには言いません)車椅子可能のモールも誘っても行きませんし外食に誘っても行きません。
本人曰く、おトイレの問題が1番ネックだと話してました
大人用オムツをしてくれると1番良いのですが、プライドもあるだろうし母親も言えずにいます。私も言えません。
50代で紙おむつなんて、追い打ちをかけるように辛い思いをさせてしまいそうで。
でも、オムツをすれば、言い方は少し違うかもしれませんが、世界は広がると思うんですけどね…なかなか難しいです。
今はデイサービスの方が週に3、4かな?
来てくれてて、近所の団地で1人暮らしです。
このまま終わって欲しくないと願うばかりです。