私の母は、5年前に脳閉塞になりました。当時、61歳です。
透析もしており、糖尿、高血圧、緑内障と体はかなり悲鳴を上げていたのですね。
母が脳閉塞で倒れた日、私は父の電話で知らされました。
病院へ行ってみると今まで見た事のない姿がありました。植物人間のような姿です。涙が出ました。
父からこうなった理由を聞いてみると!
その日は透析の日で病院のバスを待っている間にコーヒーを入れたようです。コーヒーをこぼして歩いている母に異変を感じ話しかけても普通だったので迎えのバスの運転手さんに事情を話して先生の診察をお願いしたようです。診察を受け普通に対応していた母は、席を立ったと同時に倒れ私が駆けつけた時の様態になったとゆうのです。
手術も難しく今の状態で様子を見ることになりました。
先生からは、突然様態が変わる場合があります。と言われその時の延命処置の話までされました。とても悲しいですが私と父は、延命処置をしない事を告げました。
何故なら、生きているとゆうより生かされていると感じたからです。
元気だった頃の母は、プライドもあり買い物や出かけるのが好きでした。免許がなかったので私とよく出かけたものです。なので母の姿を人にも見せたくなく延命処置を断ったのです。
そこから入院の生活です。
90日だったと思いますが病院を変えなければなりませんでした。そこの病院は、看護師さんが居るのか居ないのかとゆうくらい放置されていました。
3ヵ月過ぎるとまた病院を変えなければなりませんでした。
私と父は病院を探しましたが透析もある病院はなかなか見つからず最初の病院へ戻ることになったのです。
右半身不随で糖尿、食べるものは質素なもので水分も決められています。
血流が悪く心臓にも負担があるようです。先日、大きな病院へ行って検査をしました。バイパス手術を勧められましたが手術をした所で右半身不随が治る理由でもなく会話ができる事もないので手術とゆう選択はしませんでした。
脳閉塞になって5年、61歳だった母は、来月66歳になります。
この長い歳月のなか、先日、右腕を骨折しました。今は毎日病院へ行けないのでたまに行くと、とても顔がむくんでいる時があります。
昔は太っていた母ですが腕なんか骨と皮のようです。白髪はとても気にしていた母なのに今では真っ白で黒髪が1本もない位です。
私は、生かされていると思い母が不憫でしょうがないと思っていました。でも気持ちは、変わらないのですね。私の娘は、中学3年生になりました。生まれた日から倒れるまで孫が1番と言っていた母、何をするにも孫が大事だった母です。
中学生になると娘も部活で御見舞にもいけませんでした。1年位は、顔をみせなかったでしょう。
こないだ修学旅行のお土産を持って2人で病院へ行くと言葉は、ありませんがポロポロと涙を流すのです。そして片言でありがとうと言ったのです。娘も泣いていました。
脳閉塞になった母をみて正直、死んだ方が楽なのではないのかと思ったりもしました。体と容姿は変わってしまいましたが、孫を想う気持ちは、変わらない姿をみて今の状態でもいいから生きて欲しいと思いました。