今から20年前、父が仕事中に倒れました。
お酒な好きな父は良く汗をかき良くビールを飲む
職場は工場で一年中高温の場所だと聞いていました。良く汗をかくのにあまり水分を摂らないこともあったりして熱中症の症状がでるとも言っていました。
お酒が好きな父はそんなときは「こういうときはビールを飲めば直る!」と言っていたのですが今思えば、それが良くなかったのかなと思います。
当時私は親元を離れ県外の短大へ行っていたので倒れた直後は聞かされていませんでした。入院して父の意識が戻った時に母から電話があり初めて知りました
すぐに実家に戻った私でしたが当時はまだそれほど有名ではなく「脳いっ血」という言葉は知っていたのですが「脳梗塞」がどんな病気なのかも分からなかったし父の状態も想像もつかず久しぶりに見た父の姿に愕然としました。
ろれつが回らずどこか顔の印象までも変わってしまっていました。そして父の利き手は右。でも、父は右半身不随で箸を持つのも字を書くのも左手でやらなければなりません。
テニスボールやトゲトゲボールでのリハビリ。ノートに字を書く練習。できるだけ散歩をして歩く練習というように努力を重ねました。そのなかで感じた事は、発病する前に比べると涙もろくなってしまったこと。父の弟が亡くなった時も喋れなくなるほど泣きじゃくる状態でした。
また、緊張から笑いだして止まらないということもありました。私の結婚式で外国人の神父様が話すたび吹き出すのです。とても失礼だし止めないとと思えば思うほどに止められないようでした。
喜怒哀楽がコントロールできない感じなのでしょうか。
リハビリを頑張ったおかげで元気に動けるようになった
そんな状態は続いているものの努力の結果、今では何キロも歩いて買い物に行ったり
左手で上手に箸やペンを持つことができます。
時々、ろれつが回らないようにも見受けられますが、リハビリを頑張った成果はきちんと出るのだと思います。
もしかしたら私なんかよりも足が強いかもしれません。不自由な右半身は今でも動かし辛さはありますが力もあり器用に使っているようにみえます。
そして、20年たった今でもとても元気です。
この20年を見てきて父は脳梗塞によって仕事も退職に追い込まれ不自由な左手ですべてのことをこなし、とても大変だと思います。でも、同時にリハビリを頑張り不自由ながらも日常生活をこなせるようになっている父はすごいと思う。
脳梗塞はリハビリという努力が報われる病気だと思います。もちろんかからないのに越したことはないけれども、かかっても諦めないで頑張れば報われるそんな病気だとおもいます。