脳梗塞の再発防止に本人、家族が出来ること

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脳梗塞体験談集

祖父が70代の時に脳梗塞で右半身が不自由になりました

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私の祖父は、70代の時に脳梗塞になりました。

冬の雪がたくさん積もった日のことでした。祖父は一人で庭の雪掻きをしていました。

かなり長い時間作業していたため、途中で母が心配して何度かもうやめるように注意していました。

祖父が雪掻きを終わらせて家の中に入ってきてわりとすぐでのことでした。

祖母が救急車で病院へ運ばれる

急に母が大きな声で「救急車よんで」と叫んでいます。祖母が救急車を呼んでいる間、私は祖父に「おじいちゃん。大丈夫?どうしたの?」と声をかけました。

すると祖父は何か伝えたくて声を出して話しているのですが、ろれつが回らなくなっていて何を話しているのか私にはわからないような状態でした。体も思うように動かないらしく、倒れたまま起き上がることもできないようでした。

救命救急センターに運ばれ検査を受けました

お医者様から、唇がしびれたような感覚がありますか?体のどの部分がしびれていますか?手や足は動かせますか?など聞かれていました。その間も祖父はろれつは回っていませんでした。

お医者様はの祖父に脳梗塞と診断をしました。脳の血管の写真を見せられて、ここが詰まっています。後遺症が残る可能性があります。と説明されました。

その後退院した祖父の生活は右半身が不自由で大変そうでした

もともと右利きなのに、右半身が不自由になってしまったので生活のすべてを左手で行うしかなくなりました。

ご飯も左手で食べます。着替えも左手で動かない右半身にも着せなくてはなりません。字を書くのも左手。上手な字を書く人だったのに、ぐちゃぐちゃで読めないような字になってしまいました。

私たち家族はリハビリのためと、手を貸したくても我慢して祖父に自分の力で何でもやらせるようにしていました。

祖父はもともと絵を描くのが趣味でいろいろな賞をとるほどの腕前でした。

しかし、脳梗塞になってからは、左手で描くしかありません。何度描いても気に入るように描けない祖父は次第に周りに八つ当たりしたり、物に当たるように筆を床に投げつけるなどという行動をとるようになっていました。いつもイライラしていて怖かったことを覚えています。

それでも、もともとが努力家な人だったのでそれから3年くらいで何でも自分でできるようになり、絵や書道も左手で上手くかけるようになりました。

そんな祖父はもう亡くなっていませんが、最後まで頑張りやさんだったなと祖父のことを思います。

脳梗塞はかかってしまうと本人も家族も大変です。うちの祖父はリハビリの余地がありましたが、なかには寝たきりになってしまう方もいます。家族の負担も大きいし、何より患者本人が一番つらく悔しい思いをするはずです。日頃の健康管理の大切さを、祖父が脳梗塞になってからよく考えるようになりました。

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